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2006年7月27日 (木)

左遷の悲哀

雪だるまが坂道を転げ落ちるように、一旦落ち目になると取り返しがなかなか取れないのが世の常なのかもしれない。定年という名の下に子会社に左遷された。他の人に比べたら働けるだけでも良しとしなければならないと友人は言う。給料が半額になり実施は即日であった。友人の言う通りならば文句を言うことなど許されわけがない。しかし、何か腑に落ちないものが心に引っかかってくる。誰に当たることもできない。これが左遷の悲哀なのかと実感した。元気で働くことができるのを感謝しなければ罰が当たるのかもしれない。これを書いたら少しは気が落ち着いたように思う。

2006年7月 4日 (火)

経営感覚を持った侍

豊臣秀吉の政権の末期に五大老と五奉行という制度があった。五大老は政策立案機関で、五奉行がその執行機関であった。秀吉は「これからの戦国大名も経営感覚を持たなければならない」と考え経営閣僚を自分の足元においた。関ヶ原の戦いで西の大将であった石田三成もそのひとりであった。ある時、淀川が氾濫した。秀吉は「誰かすぐに洪水を止めろ」と命じた。しかし、皆な顔を見合わせるだけだった。その時、石田三成が「突然の洪水なので今から土俵を作らせたのでは間に合いません。土俵の代わりに米俵を使いますので、お城の蔵から米俵を拝借しとうございます」と申し出た。秀吉は苦い顔をしてこれを許した。米俵で見事に洪水は堰き止められた。問題はこの米俵どうするか?三成は住民に「堤防を作り直そう。皆な土俵を作ってこい。土俵一表についてここに積んである米俵一表と交換する」と云った。住民たちにすればこんな嬉しいことはない。濡れた米でも乾かせば米の飯が食える。土と米が交換できるなどいう破天荒なことは今まで例がない。住民達は心から三成に礼を言った。すると、三成は「私に礼を言うな、云うなら秀吉公に云え、これはすべて秀吉公のご配慮だ」と告げた。秀吉は住民達から礼を言われ、それを知った時、石田三成の勇気ある決断と知恵を褒め称えた。

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